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2014年2月28日金曜日

『古代文明と気候大変動』(ブライアン・フェイガン、2008年)

古代文明と気候大変動〜人類の運命を変えた二万年史〜
ブライアン・フェイガン(東郷えりか 訳)
河出文庫、2008年(¥950-)



著者はUCSB(カリフォルニア大学サンタバーバラ校)の人類学名誉教授ブライアン・フェイガン。多くの著作で知られる。

本書は人類学者が古気候学の証拠を取り入れながら「出アフリカ後の人類がどのように拡散し、農耕を始め、各大陸で文明を築き上げたか」を事細かに描写するだけに留まらず、その結果として「人類史上のどこから、環境の些細な変化に対しても脆弱になったのか」について考察している。

人はかつて狩猟採集民族で、環境の変化(とくに最終退氷期の激動の1万年間)に対して「移動」という直接的でもっとも効率の良い手段で適応してきた。

しかしながら農耕の発明と定住、集落の大規模化とともに、次第に環境に対して脆弱性をさらけ出すことになる。
以前であれば移動によってより良い環境へと移ることができたものが、農耕が可能にした貯蓄(資産)・人口増加(と有力者による管理)が足かせになり、また移動先が他の部族によって既に占拠されていることなどが原因で難しくなってしまったからである。

文明が栄え、人が都市など1ヵ所に集中するほどに人の命の危険性は増すことを筆者は警告する。
そしてその議論は現在進行中の人為的気候・環境の変化(地球温暖化や海洋酸性化など)においても十分適用可能なものである。

その中でも特に生命の維持に欠かせない水に関わる問題は死活問題である。たった数年干ばつが続くだけでも命に危険が及んでしまう。
土地を放棄し移動を試みるか、人が次々と死ぬ中で環境が元に戻るのを我慢して待ち続けるか(或いは生け贄を捧げて祈るか)。

その逆に、利便性の良い水際に作られた大規模な農地や集落もまた、今度は洪水という自然のきまぐれによって大きな被害を被ってしまう。


古気候研究においてもよく人類の文明との関係が議論される。

気候が地理風土を作り出し、その土地の農耕を支えるため、その変化は人々の生活に密接に関わっている。
ただし、必ずしもそれだけが原因とするのは早急で危険な議論である。

何故ならば、文明の盛衰は必ずしも気候をはじめとする環境によってのみ支配されるわけではなく、それは政治・疫病・戦争などとも関連しているためである。

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実はこの本はその昔、学部の3年生くらいのときに購入したものだが、当時は背景知識も何もなくちっとも面白くなくて冒頭部分だけで読むのを放棄してしまった。第四紀の古気候学の知識が身についた今になって読み返してみると非常に面白かった。

例えば「1.5万年前」というキーワード一つとってみても、昔と今とでは想像できる地球の姿が随分違っている。

考古学的な証拠からかくも多様で深い洞察が得られるのか、と大変感心してしまった。気候と人類の拡散・文明の盛衰との関わりもとても面白い研究テーマだと思う。

「我々はどこから来て 何者で どこにいくのか」